神の教師とは
誰もが奇跡を体験でき、誰もがそれを学ぶことができることを理解しており
自らが神の道具として、奇跡(愛)を生き続ける実践者である。
神の教師の役割は、人の心を変えることでも、教えや癒しを与えることでもない。
生徒たちと共に喜び続けることだけである。
神の教師には、特定の生徒たちが割り当てられており、
教師が呼びかけに応えたなら、生徒たちはただちに彼を探し始める。
彼(神の教師)に学ぶ準備ができたとき、教える機会が彼のために用意される。
その際、多くの神の教師は、生徒から投影を受けるが
その生徒を愛することを通じて、神の教師としての真価を発揮し、
教師と生徒はともに”一つであったこと”を思い出すことで、お互いの課題をクリアしていく。
通常であれば、「教師が生徒を導く」ということが想像されるが、
実は、「生徒こそ、教師にとっての教師である」という真実に
気づくことができるかどうかで、教師と生徒が真の関係を思い出せるかが決まる。
神の教師の資格は、ただ一つ。
「自分の利害を、他者の利害から離れたものとは見なさない」
という意図的な選択をすることである。
愛とは、ひとつであること。
すべての人が誰かにとっての教師であり、生徒でもある。
【教師としてあり続ける上で、最も大切なこと】
“私は、私のことを愛してくれている人と同じように、私に苦手意識を持っている人、私を嫉妬や批判の対象にし、その批判を通じてその人自身が、自ら苦しんでしまっている人のことも心から愛しています。相手が愛してくれていても、愛してくれていなくても、私が愛しているから、愛なのです。”
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