とある場所で、こんな話がされていました。
「ねぇねぇ、僕は、僕であることを体験したいんだ。
僕は、僕が光であることを理解できたんだ。
でも、知っているだけじゃ分からないんだ。
僕は、体験したいんだ。僕が光であることを。」
『わかったよ。じゃあ僕が、協力するよ。
君が光であることを体験するために、僕が闇になろう。
光ではない僕と出会い、僕を感じることで、
君は光であることを体験できるよ。』
「それは素晴らしいね。どうもありがとう。
君が闇であることで、
僕は光である自分を体験することができるんだね。
僕らは、元々一つだから、
きっとお互いを愛おしく感じることができるよ。」
『うん、そうだといいね。でもね、
きっと光になった君は、闇である僕を恐れるだろう。
なぜならば、闇と光が一つであることを思い出してしまえば、
君は光だけではいられなくなってしまうから。
君は、僕を否定することで、光であり続けることを体験できるんだよ。』
「え、そんなの嫌だよ。僕は、君が大切で、僕は君じゃないか。
じゃあ、僕が闇になるよ。
そうしたら、君が光であることを体験できるんだよね?」
『うん、そうだよ。でもね、僕たちは光でも闇でも、関係ないんだよ。
今こうして一つであることを知り、
一つとして存在している僕らは
常に完璧であることで、完璧ではなくなってしまったんだ。
光も、闇も、結局は仮の姿であり、
僕らはただ、存在する存在であるんだ。
それを一旦忘れ、そして、互いを否定し、愛し合うことで
またこの矛盾の中にある「愛」という存在を思い出していくことに
宇宙全体の意志があるんだよ。』
「そうなんだ。わかったよ、じゃあ僕は、光になろう。
そして、君は闇。
きっと忘れてしまうけど、必ず君と僕は出会うことになっているんだね。
君と出会ったときは、精一杯、君を愛するよ。」
『うん、ありがとう。僕にとっても、
光である君はきっとまぶしすぎると思う。
それでも、光を恐れず、君を愛するよ』
「ありがとう。またね。」
『うん、ありがとう。またね。』
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