吉武大輔 経歴


 

0歳(1986年)

1986年12月13日。病院の近くにあるカリヨンの鐘の音と共に山口県防府市に生まれる。優等生からヤンキーまで幅広い交友関係を持ち、人生を謳歌。両親に愛されて育ててもらったことに、本当に感謝。写真は、高校二年の時の秘蔵写真。

吉武大輔_高校

 

18歳(2005年)

英語の教員になる為、神奈川大学外国語学部に入学。何もかもが初めての都会の暮らしは、単身上京した田舎者にはとても眩しかった。一年目は大学生活を満喫するも、神大以外の大学(東大・早稲田・慶應・SFC・一橋など)の同年代の学生との出会いで、人生観が変わり、大学の外にも出会いを求めるようになる。

 

 

19歳(2006年)

日本最大の学生団体AGEと出逢い、横浜学生の祭典のスタッフとして、横浜赤レンガ倉庫に2日間で2万人を動員することに成功。イベント終了後、直感的に往復の航空券だけ予約し、単身NYに10日間バックパッカーの旅に出る。St.Patrick’s Cathedralにて覚醒体験。帰国後、年間200冊以上の本を読みながら、経営者、政治家、社会起業家、ベストセラー作家、研修講師、活動家、学生、フリーターなど幅広い人たちと出逢い続けることで、人生観を広げる。大学は単位を取りにいくだけで、放課後は都内へ繰り出す、という生活スタイルになる。

 

20〜21歳(2007〜2008年)

教員養成のゼミに入り、教育学、英語習得・教授法を専行。大学外に活動範囲を広げ、様々な勉強会やイベントに参加していた中で、ドリームワークカレッジ(起業スクール)に入学。教員ではなく、起業家としての道を志し始める。また、この頃には口コミで始まった悩み相談の人数が多い日には一日7-8人となり、相手の感情や思考の癖、パターンなどを見抜く力が磨かれる。ただし、大学内では完全に浮いた存在になり、友達がいなくなる笑。2008年、シェアハウス(井沼邸)を開始。横浜から都内に引越。

 

22歳(2009年)

大学卒業直前、両親に頭を下げ、「25歳までに結果が出なければ、地元に戻って英語の教員になる」ことを約束し、大学卒業と同時にフリーターとなる。店長兼バーテンダーとして、仲間が立ち上げたバーで働きながら、学生時代から強みとしていた個人カウンセリングを本格的に始め、開始3ヶ月で予約が殺到するカウンセラーとなる。当時の写真、怪しさ満点(笑) でも、今考えてもこの時期は相当繋がっていました。

吉武大輔

 

23歳(2010年)

大学卒業から1年後、2010年4月1日に個人事業主として独立。同年6月9日「LLP(有限責任事業組合) 无空 -muku-」を設立。代表就任。この頃から、ヒーリングやリーディングといった「スピリチュアル」と呼ばれる世界と、起業・経営といった現実的な世界が一致しているのではないかという仮説を持ち始め、世界No.1マーケッター ジェイ・エイブラハムのマーケティングを学び始めたことをきっかけに、精神性と現実性の融合をテーマとした経営コンサルティング、若手事業者の起業支援、マーケティングコンサルティングを開始。10月には「自分らしさをブランドにする」をテーマとしたNatural Branding Schoolを田村隼人と創立。自身が講師を務めたマーケティングコースでは、受講生の約35%が半年以内に月20万の売上を達成した。写真は、実家から車で15分の港から行ける野島での一枚。島は猫が多いから好き。

吉武大輔

 

24歳(2011年)

作野裕樹氏より、ランチェスター戦略を原則とした経営哲学を学び、これまでのコンサルティングノウハウをまとめた講座「弥栄」を発表。クライアントが殺到し、月収150万を突破しても達成感を感じることができなかったかったが、とあるクライアントが目標を達成した知らせを聴き、号泣。自身の役割が、リーダー育成、指導者たちの相談役、指南役であると自覚する。同時期に、盟友吉田健吾がオープンした自然食の飲食店 十輪-towa- をサポートする目的で、十輪に隣接する物件をシェアハウスとして運用。シェアハウスのビジネスモデルを活かし、固定費0の飲食店の仕組みつくりにも携わる。写真は、当時のリーダー飲み会。最高のメンバー。

Back Camera

 

25歳(2012年)

斎東亮完氏より、ドラッカー理論をベースにしたビジネスプロデュース論を学ぶことで、事業者の心(精神)と経営(現実)が密接に繋がっていることを再確認した結果、クライアントの成果がさらに飛躍。また、阿部多江子氏より九氣方位学を学び、「方位取り」と「運」について考察を深め、祐氣取りを活かしたシェアハウスの出展計画、自身の海外進出を設計する。なお同時期に、中国茶を中国から直接仕入れ、Chatea(チャティ)というブランドでネット販売も行う。8月31日、「コミュニティを通じて、ひとをつくる」を理念に株式会社 Communiy Consulting Japan 設立。代表取締役就任。「coco house 高円寺」Open。3ヶ月で満員御礼。写真は、亮完さんと亮完塾同期。

亮完塾

 

26歳(2013年)

コミュニティをつくる為のマーケティングを学ぶ研究会、CCLを発足。2年前から顧問をしていた個人事業主が月商200万を突破。林田明大氏より、帝王学の源流と言われ幕末の志士たちにも影響を与えた、陽明学を学び始める。林田氏より依頼を受け、姚江の会 東京の事務局に就任。同年10月「coco house 方南町」Open。惣士郎さんの移住先、カミギン島に行ったのもこの年。12月13日「新しい今をつくる」を理念に、CI・経営戦略立案に特化したIMAGINE INC. 設立。最高経営責任者(CEO)就任。写真は、品川のタワーマンションに引越して、健太と隼人が遊びにきた時。当時のインタビューPDFはこちら

吉武大輔

 

27歳(2014年)

伊勢瑞祥氏より、陰陽五行学(四柱推命)を学び、命を中心とした人生設計、運命、相性、個性の活かし方、チームビルディング、マネジメントを始める。また、グループコンサルティングが反響を呼び、研修会社の立ち上げや、億を超える売上にも貢献する。東京、水戸、名古屋、沖縄、京都等でクラスが発足。1月「coco house Annex」、5月「coco house 東高円寺」Open。6月京都に移住し、晴耕雨読の生活を始める。10月「吉田庵」Open。写真は、山口県の大屋釜。理想の場所でした。

吉武大輔

 

28歳(2015年) 

伊藤研人、吉田健吾と共に、「人、自然、時代、世界を繋いで、和をつくる」を理念に、株式会社縁を1月23日に設立。着物や日本文化を通じて、日本人の覚醒を志す。介護福祉・訪問看護等への企業研修も本格的にスタートする傍ら、SBI大学院大学 経営管理研究科 アントレプレナー専攻に合格。経営者と大学院生の生活を両立させ、2年後に経営学修士(MBA)を取得予定。6月に京都を離れ、地元山口県に帰郷。松下村塾リバースプロジェクトのメンバーにも選出される。9月に、海外リトリートツアーや企業研修などを行うAlchemy Internationalの取締役に就任。日本を飛び出し、世界で活動していく土台つくりが始まる。

吉武大輔

 

29歳(2016年)

20代最後の誕生日に、「天よ、20代最後の締めくくりにふさわしい一年にしたいと思っています。自分の持つすべてを、世界のために出し切る覚悟があります。どうぞ自由に使ってください。」とお願いしたところ、1月で夏までの土日がすべて仕事で埋まり、2月の時点で平日もほぼ全てが埋まり、3月には10月まで休みがないサイクルに入る。この年は、年間で200回以上の講師活動を全国で行い、数年分働いた気がします。あんまり、安易にお祈りするものではないなぁと思いました笑。全国に仲間が増えたのと同時に、自分自身の在り方と役割を再確認した一年となる。

吉武大輔

 

30歳(2017年)

二年間通ったSBI大学院大学を卒業し、30歳でMBA(経営学修士)を取得する。U理論の訳者 由佐美加子氏との邂逅を通じて、”シャーマン=つながりをもたらす存在”としての自分自身の存在も再確認。7つの習慣®アカデミー協会にて、世界初となる認定ライフコーチプログラムにも参加することで、さらなる自身の成長と人生の羅針盤を手にする。2017年7月7日には、福岡を拠点に(株)ones holdingsを創業。12月に処女作となる『やさしすぎるあなたがお金持ちになる生き方』を出版。20代の総まとめとなる「お金と感情と関係性」をテーマに書籍をまとめた。

吉武大輔 

 

31歳(2018年)

出版記念セミナーで全国を回ったのち、一年間の休息期間とする。オンラインサロンTRANSITを立ち上げ、全国の仲間のつながりをつくる。また、心を重ねることで自分と相手に必要な情報を受け取るリーディング技術の伝授を始め、2018年6月21日(夏至)に一般社団法人アクセスリーディング協会を発足し、自分の死後にもその技術と心を残していくことを決意。夏には、沖縄〜神津島〜ハワイ(カウアイ島)をめぐる一ヶ月半の旅を行う。秋には、TRANSITがIMAGINERへと進化し、北は北海道、南は沖縄まで塾生が入塾する。10月に本田健氏の作家合宿@八ヶ岳に参加し、しげにいと話したことをきっかけに、四年ぶりに都内に拠点を移すことを決める。

 

32歳(2019年)

日本最大級のソーシャルアパートメントに入居し、東京という街のスピードの速さに心地よさを覚えながら、圧倒的な速度で仕事をこなす日々を過ごす。ヴィジョンアーキテクトエネルギーワークこの世界を生きるために(podcast)波動分析器i-SCANなど様々なサービスをローンチ。夏には拠点を明治神宮前に移し、本格的に東京での活動に専念する。また、2冊目の著書となる『パズるの法則 ~奇跡は常に2人以上~』をベストセラー作家ひすいこたろう氏と出版、重版もされ、充実した2019年を過ごす。

 

33歳(2020年)

拠点を都立大学へ移動し、東京を拠点に全国を飛び回っていたところ、コロナ騒動が起きる。一ヶ月の東京自粛生活後、ご縁で受診させてもらった高輪クリニックで、コロナ陰性であったことをきっかけに、即座に拠点を山口県に戻すことを決断(一年半で4回引っ越し)。次世代の新しいライフスタイルを求めて、吉武大輔の直感ぶらり旅を開始したことで、エコビレッジに関係する人たちとの縁ができ、導かれるように西の横綱と呼ばれる俵山温泉を拠点とした、俵山ビレッジの幕開けとなる。また、三冊目となる『家族を愛する技術』も出版。

 

34歳(2021年)

俵山ビレッジを活動の中心に置き、1棟目灯炬庵、2棟目Entrance、3棟目(HANARE)、4棟目(喫茶呼)と着実に拠点を増やしながら、10~20代の若手の育成に注力する。同時期に、10年先を見据え、健康に関する学びを開始。健康関連の書物の読み込みや叡智の体系化、手技としてSBRと呼吸法を受講。今まで学んできた、頭(経済性)・心(関係性)・魂(精神性)に加えて、体(健康)に関する知識も増えていく。また、キリスト教の教えを中心においたconveneに入塾。人材育成、投資、経営手法について新たな視点を得る。

 

 

 

 

 

 

35歳(2022年)

俵山ビレッジに新たな家族が加わり、累計移住者が9名となる。同年4月より、たわらやまの旅と未来会議 理事に就任。その後、地域の内外の縁をつなげるコミュニティカフェEntranceオープン。つながりの中で生きるための新しい生き方コミュニティシップの開発・伝道を行う合同会社Remember。思い出で溢れる世界をつくるをビジョンに、with Projectを発足する。夏には、四冊目となる『ネガティブ感情向き合い練習帳』を出版。約3年ぶりに全国で巡り講演活動を行う。また、世界的経営コンサルタントである大前研一氏の構想力講座に応募、100名を超える応募者の中から11名の入塾生に選ばれ、世界一流から構想力を学ぶ。年末には、俵山ビレッジも多拠点生活チームを含めて、15名の大所帯、所有物件数も7棟となった。

 

 

 

 

 

 

36歳(2023年)

明鏡止水をテーマに始まった2023年。ETIC創業者の宮城さんからのご紹介で、ISSA 国際武士道精神修養道場の田端俊之氏と息子の隼人氏と志を共にする。GWには、味噌蔵で発酵DiscoスペインよりHoshik氏を誘致し吸法合宿沖縄よりロビンソン尚子先生のヨガ(プラナサージ)合宿を企画する。また、夏至を境に強烈な覚醒体験を経験し、今までの常識や感覚が完全に覆る。この経験の時に「3つの約束」を持ち帰り、人生第三章がスタート。次世代のリーダーたちとの邂逅が一気に加速する中で、京都府神社庁にて一ヶ月間の講習にて直階を被き、イタリアフィレンツェにて人生二回目のダウンロード、人生初のクラウドファンディングで「いのちのあそび場 meguri」に700万円を超えるご支援に感謝、EMグループ”暮らしの発酵“さんとのご縁の始まり、五冊目の『奇跡はこうしてやってくる』を出版するなど、よき締めくくりを迎える年となった。

 

 

 

 

 

 

37歳(2024年)

起業15年の中で、最も時間と気持ちに余裕のある形で一年がスタート。子どもたちの未来のために、子どもアドボカシー講座へ参加。また、100人の庭師として参加したタダの箱庭プロジェクトが本格始動。多種多様な人が日々訪れる俵山温泉を拠点に、「草莽崛起」プロジェクト、出版&コミュニティプロデュース事業を開始。